第1期・第1講レジュメ第1期・第1講 感想集第1回の感想文を読んで 上田哲

[哲塾・第1期 第1講 2005.01.15]レジュメ                    
いま、日本軍事体制とは何か −その現況と経過の検証−
会場:日本デザイナー学院 7階 701教室
  「同盟と中立」    

【第1章】 概況(後に詳述)
 @ 「この1年が60年を変えた激変」 03・12・9〜04・12・9、10
    ミサイル防衛網の導入
    武器輸出3原則の緩和
    防衛計画の大綱改定
    中期防衛力整備計画(05年度〜09年度24兆2400億円)の策定
    イラク派兵1年延長
 A 詭弁の軍事体制 「日米安保は軍事同盟」の認知まで33年。1984年2月21日[資料1・2 ]
 B 第3次安保(極東条項を超える再定義)へ

【第2章】 「同盟と中立」
 @ 中立平和思想の歴史
    カント(「永久平和のために」)、フィフテ(「封鎖商業的国家論」)、トルストイ(「イワンの馬鹿」)、   
    ラッセル、サルトル、
    1791フランス革命憲法(戦争の一切放棄)。
    不戦条約(1907・兵力使用制限ハーグ条約、1920・国際連盟設立、国際連盟規約。
     1945・国際連合。)
    安東昌益(「自然真営道」)、橋本左内、坂本竜馬、横井小南(平和立憲論)、
    徳富蘇峰(「将来之日本」)、中江兆民(三粋人経綸問答」)、北村透谷(「雑誌『平和』)、
    田中正造(日露戦争反戦)、山川均、荒畑寒村、大山郁夫(無産政党) 
 A 中立政策の定義
    戦時局外中立
    永世中立
 B 永世中立政策の4形態
   @ウイーン会議以降の形態。他国間との国際条約で一国の中立を義務づけ、
    かつその安全を保障するもの。
     スイス(1815:対オーストリア、イギリス、フランス、ロシア。後にポルトガルも参加)
     ☆ 不徹底な例:ベルギー(1839)ルクセンベルグ(1867)リヒテンシュタイン(1867)
   A1800年代から生まれた形態。他国間との国際条約に拠らず、中立政策の積み上げを
    各国が尊重するようになったもの。
     スウェーデン、
     ☆ 不徹底な例:ノルウェー、デンマーク、フィンランド
   B二次大戦後生まれた形態。国家宣言によって永世中立を世界にアッピールするもの。
 オーストリア(1955・5・15、国民議会が占領4ヶ国アメリカ、イギリス、フランス、ソ連に対し
    宣言、1955・10・26、連邦憲法法規2ヶ条制定、各国に通知) [資料3]
   C非同盟・中立(ノンブロックポリシー)
インド、ユーゴスラビア。
     ☆ 国間条約の中立のため不徹底な例:カンボジア、フィンランド(々)、アフガニスタン

【第3章】 日本国憲法は永世中立憲法
 @ 自衛権と自衛戦争 
    GHQ「戦争放棄条項」指示(1946・1・24)
    マッカーサー:幣原喜重郎会談(1946・1・24)[資料4]
    憲法成立直後の吉田茂答弁[資料5・6]
    曲学阿世論争
    ソ連、極東委員会、アイゲルバーカー。9条改訂指令(1948・10)
 A 朝鮮戦争からの急変
警察予備隊の設置命令(1050・8)
講和条約(1951・9・8)締結
 B 講和条約と旧(第一次)安保条約
    日米安保条約締結(1951・9・8締結、1952・4・28実施)[資料7]
    講和条約第6条による脱憲法[資料8]
 C 違憲法体系の積み上げ(安保条約締結直後)
    警察予備隊の保安隊改組(1952・8) 
    刑事特別法(1952・5)
    破防法(1953・7)
    労働三法改悪(1953・7)
    MSA協定(日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定・1954・3調印)
    教育二法,MSA秘密保護法(54・5、29)
自衛隊法、防衛庁設置法(54・6、2)

【第4章】 新(第二次)安保条約(1960・1・19署名、・23発効)[資料9]
   自動延長(4条、10条)
   自衛隊強化と日米共同行動(3条、4条、5条)
   経済協力(6条)
   改憲勢力3分の2に達しない鳩山以来の小選挙区制
   新安保9年目の10条否定の佐藤・ニクソン共同声明(1969・11・19)

【第5章】 課題
         討議のなかから


哲塾  第1期・第1講 感想集

清水 義仁
 正直、日米安全保障条約の全文は初めて見ました。
断片的な知識で、見直し論、反対の意見を唱えていることを実感しました。
問題の本質をとらえて活動をしている人が、はたしてどれくらいいるんだろうかと考えさせられます。
自分も含めてですが、内容を十分吟味し、理解せずに「流行」で活動をしてしまう人は
案外多いのかもしれません。
今後、何の活動を行うにしても、きちんと消化したものを持たなければならない気を引き締められます。

 ただ、知ってしまってショックだったのは資料9です。
第十条の「10年間」の縛りがある中で9年目の共同宣言で、結びなおされた事実。
その是非はともかく、学生と機動隊の衝突に象徴される世論の高まりは、何だったのか。
安保反対を唱えていた人達は気づかなかったのか、
気づかされることなく政府の思惑に踊らされていたのか。

 次にテーマを求めるというより、もう一度時系列で戦後史を勉強しなおす必要があると実感しました。
悪い方向に向かっている現在の状況は、過去のどういった経緯からきているのかを
きちんと理解したいです。
私の中での哲塾は、小難しい議論をするのではなく、
分からないことをきちんと消化して基本をおさえていく時間でありたいと思います。

池田 はるお
 上田先生のパトスに感謝します。
今私たちは多くの苦難のまっただ中にいるのかもしれません。
私も選挙を考えたら書けないことをメルマガで色々送信しましたが、
かなり行革で共感を示してくれた方々からも憲法や安保の問題は厳しい時代になっていますね。
民衆史の成熟がないまま日本は国権主義が復活しているかのようです。
安倍晋三のふらちな権力主義は北朝鮮問題へのすり替えが国民の中に浸透しつつある証拠です。
反撃の情報をとぎれること無く打ち込まなければと必死の思いです。
(以下池田さん発行のメールマガジンより抜粋させて頂きます;事務局註)

 上田哲塾第1回目20050115私の感動は以下の点です。
野坂と吉田の論争は既報されています。
そこが共産党の根底にある武装闘争主義ですから、国民は根底で信用していません。
かといって、こちらが共産党よりも信用を獲得しているのかと言われたら、これからだというしかありません。
マッカーサー回想記ないしは回想録としてインターネットの検索をすると山ほど出てくると思いきや、
何故かほとんど出てこない。そこで上田哲氏の塾の資料の重要性がさらに輝いてくる。
沢山出された資料を次回までに全部読んで来て自分の問題意識を整理すること
という課題を出されたからと言うわけではないが。
 資料4はマッカーサー回想記(幣原喜重郎会談)。
この文面は天皇とマッカーサーが会談したときの場面のように人口に膾炙していない。
何故なのか。意図的な隠蔽がなされていると考えるのが自然である。
 重要な点:マッカーサーに幣原が話したのは21年1月24日。
マッカーサーがGHQの担当者を通じて憲法草案作成を命じたのは21年2月3日であること。
これでもGHQの押しつけ憲法というデマが通るんでしょうか。

飯塚 遼
 第1回目の哲塾に参加して痛感したことは、
「日本国憲法をめぐる現実主義と理想主義の歴史的転換」についてであった。
 憲法改正が政治日程化しつつある現在、
憲法改正は、変容する国際秩序に対応する「現実主義」として語られ、
9条を軸とする護憲という考え方は、
現状を、憲法が想定する国際秩序に近づけようとする「理想主義」として語られている。
 しかしながら、上田先生が教えてくださった日本国憲法の制定過程、
ならびに制定当時の政府解釈から分かることは、
敗戦国日本にとっては、「日本国憲法」、特に9条の条文通りの解釈こそが、
国の存続にあたっての「現実主義」であり、
同時にそれは、「戦争をしない国」としての再生を宣言する意味において、
「理想主義」でもあったということである。  
 今回の受講で、「理想と現実が一致した政治空間」が
今から五十数年前にあったという事実を再び認識することが、
日本国憲法の「理想」が戦争を繰り返す「現実」によって凌駕されようとしている今こそ、
強く求められていると感じた。
日本国憲法の持っている「理想」を、いかに「現実」として隣人の人々と共有していくことを
可能ならしめるか、哲塾はその答えを与えてくれると期待している。

佐藤 智子
 当日、一言発言させていただいたように、「日本国憲法は永世中立憲法」という認識が
私のなかにはありませんでした。
ですから、レジュメをはじめて見たとき、はっとしました。
そのような憲法の位置づけを見聞きした覚えがないように思えたので。(私の勉強不足でしょうが…)

 私が常々感じている素朴な疑問があります。
政府はやれ「有事法制」だ、「ミサイル防衛」だといって、巨額の資金と人的資源を振り向けますが、
それらは攻められることを前提とした論理です。
なぜ、どの国からも攻められない国づくりをしないのか、なぜ、そのために人とお金を使わないのか。
こんなことを言うと、単なる理想論、空理空論とされてしまいがちですが、
実はそれこそもっとも現実的な選択肢ではないかと、私は思うのです。

 ここまではいつも感じていたことですが、そこから「永世中立政策」に思考が及ぶことはありませんでした。上田先生がレジュメの第2章で話されたことを聞きながら、
ああ、そういう方法があったのか、と妙に納得できました。
そういう意味で、永世中立政策の可能性にとても興味をもちました。
もとより簡単なことではないでしょうが、可能性を追求する価値があると感じました。

 第3章については、いま、戦後60年をきちんと押さえておくということは、
過去の歩みを学ぶことにとどまらず、
自分たちがいまどういう地点に立ち、どこへ向かおうとしているのかを見極めるうえで、
不可欠な作業だろうと思います。
数々の資料を提供していただき、一次資料にあたって考えることの重要性を改めて教えられました。
吉田茂の答弁については知っていましたが、
講和条約や安保条約をめぐる「作為」については、無知を恥じながらも、
目を覚まされるような思いで聞き入りました。
次回までにじっくり読んでおきます。

 資料4についてうろ覚えで気になる点があり、手元にある下記の3冊をざっと見ただけですが、
戦争放棄条項の発案者は誰であったのかは、いまも論点になっているようです。
また、『マッカーサー回想録』の記述の信憑性については、アメリカ研究者からも疑問が呈されています。
もう少し調べてみたいと思いますが、『マッカーサー回想録』の扱いには慎重であるべきかもしれません。
(参考) 竹前栄治監修『日本国憲法・検証 1945−2000資料と論点』の
       第1巻 竹前栄治・岡部史信『憲法制定史』(小学館文庫)
       第5巻 古関彰一『九条と安全保障』
      袖井林二郎『マッカーサーの二千日』(中公文庫)

 塾の2時間の使い方について
第1回の経験から推測するに、2時間で討論の時間までもつのは難しいのではないでしょうか。
たとえば、上田先生の講義2時間、休憩10分、討論50分、
これくらいの時間がとれたらいいかと思いますが…。
最後に、第1回に参加して、全6回、なんとしても出たいと思いました。
よろしくお願いいたします。

片野 利彦
 まず、とても体系的なレジュメ及び資料に圧倒されたということです。
そのため、帰宅後に各自で精読し、時代背景などを自力で調べることが必然的に求められます。
これはとても良い勉強の循環構造だと思います。
また、内容もとても濃かったため、時間を忘れて聞き入りました。
大学時代の退屈な90分の授業の方がよっぽど長く感じられます。
可能ならば、途中で10分程度の休憩を挟む形での、より長時間の講義も受けてみたいと感じました。
さらには、安保問題や憲法問題について本などで読むのに比べて、
まさに時代の生き証人である上田先生から直に教われるということで、俄然興味が沸いてきます。
これは大事なことだと思います。
来月の哲塾は大学院の入試と重なり参加できないのが残念でなりません。
3月以降はまた参加させて頂きたいと思います。
よろしくお願いいたします。

「哲塾」起ちあげに当たって          事務局長  安徳 暢子
 上田先生には、政治に他に類を見ない高邁な思想と哲学があります。
知るほどに凄い人と舌を巻きました。
こんな人を埋もれさせてなるものかと街頭に立つと、
数多の人の「哲さんが出なきゃ日本はもうダメ」の無念さが伝わってきました。
ことにこの数年で目を引いたのが、上田先生の理念に喰い入る様に問いかけてくる若者達でした。
この世代の人たちは戦争を知らない、60年前の悲惨な出来事など昔のお伽噺を聴く感覚の、
失望感のみでした。
その若い人達が、今上田事務所は、かつてなかった光景、若者達の出入りで賑わいを呈し、
様々な困難に遭いながら世論力テレビを起ちあげ、戦場体験者の取材制作に取り組んでいます。
だからこそ上田先生の潤沢な政治史と理念を継承して貰いたいと、
上田イズムの集大成「哲塾」を起ちあげたのです。

 第1期、「哲塾」開催の場所が、立派な建物の日本デザイン学院、701教室。
正月明けの事務方は会場探しに腐心しました。上田先生と旧知の学院理事長様のご好意で、
快適な出発となりました。
講義は勿論順調に進み、教室の空気は咳一つ無く、聞き逃さじと張り詰める塾員。
しかし時には笑いも漏れる。上田先生の講義の魔術。
若者達いわく、「大学の講義より面白かったよ。」
「哲塾」第1期成功!
 小泉節によって世の中どんどんきな臭くなるという不安。
第1章で「この1年が60年分を変えた激変」、この導入項から私のような無知な主婦でも
難なく入っていける心地よき政治論(講義内容は驚愕的です)。
それぞれ立派な経歴を持つ塾員の皆様は私以上にそそられたでしょう。
溢れんばかりの上田哲宝庫の「哲塾」を最後第6講まで、成功に収めたいと思います。
皆様どうぞ協力し合って、上田イズムを稔らせましょう。

■□ ■□ 第一回の感想文を読んで ■□ ■□ 
                                             上田哲
 皆さんの感想文を読んでホットしました。
私が心がけたことは皆さんに答えを与えることではなく、疑問符を送ることです。
皆さんが「復習をしっかりやらねばと思って頂いたらしいことは、
その第1の課題が果たされていると思います。
当日、冒頭に私が言ったように、これは私自身が自己の思想とデータを整理する好機と思っています。
その点では一生懸命準備したつもりです。

 その上で言いたいことは、これも当日言ったように
「私は解釈を言いません。ただ事実を展開するだけです」
憲法制定過程にかなり興味が集まったようですが、私の挙げた“事実”は、その一部でしょうし、
信憑性も争点のあるところかも知れません。
結論を先に言えば、私は9条の発案が誰であってもどうでもいいと思っています。
すでに半世紀以上、国民が馴致し研磨してきた以上、
それが原理的に受け入れられる方針か、もはや時流に耐えられぬ状況にあるかどうかの問題です。
押しつけ論などは、最も低次な中傷であり、本来の議論に値するものではありません。
 ただ、私が多少の事実を提示したのは、それが今日の憲法論を語るための一つの通過点であるからで、
また、皆さんの誰かが“押しつけ論”の真偽に興味を持って
スフインクスの足元を掘るような努力をされるなら、それはそれで決して意味のないことではありません。
現状の憲法論の究明には当時の真偽論争は埒外と言った私の整理とは別に独立したテーマたり得ます。
むしろ私もその成果を聞きたいと思います。

 皆さんほどの人たちですから、私の提出した課題はもともと既知のことが多いことと思います。
釈迦に説法と思って論述しました。
先に言いましたように、これは私自身の思想とデータの整理だからです。
決して“ナンデモ鑑定団”ではありません。
倉庫の中を探して掘り出し物をオークションに掛ける意図はありません。
誰でも知っているデータを並べ、それをきちんと配列して納得できる視点を導き出そうとする営為です。
私に気負って言わせてもらえるなら、こんな視点で60年を見ようと言う試みを私は他に知りません。
 例えば、第3次安保、第4次安保という呼称や問題意識は上田哲固有のものです。
皆さんがそれに納得されるかどうかは一つの課題として、私はこれを開陳できる機会を大切にしたいと思っています。
少なくとも私に言えることは、この60年の安保論争に上田哲が主要に関わっており、
私はその流れを「体験的に」語れることの希少さを埋没させてはならないと思っています。
1例として84年の中曽根答弁を提示したのは、私の手柄話ではなく、
私がそこにいたことによる歴史の刻印と考えるからです。
貴重な25人の皆さんにですから、この程度のことは言わせてください。
そうした流れの中で、講和条約や、安保条約も基から見聞しておく必要があると考えたからで、
これを今まで見たことがあるかどうかは基準ではありません。
 (多分、現国会議員だって殆ど読んでいないでしょうが)

 どうかポイントを目新しい資料のバーゲン探しではなく、知的興奮の度合いにおいてください。
これこそ私がお願いしている「この塾での共同作業」のあり方です。
例えば、私があれだけ足早に2時間を駆け抜けても、資料が過多であっても、
それはまだまだ穴だらけです。そこを皆さんの作業で埋めてほしいのです。
前述の“押しつけ論”の真偽追求でもいいし、資料だって、「佐藤・ニクソン共同声明」の原文も手が届きませんでした。どなたか、次回に報告、配布してくれたらいいですね。難しいことではありません。また、MSA協定(54・3)、MSA秘密保護法(54・9)なども事情を知る点で重要です。誰か・・・・?さらに、60年の世論調査で日本国民が「中立志向」をどう表現してきたか。
 現在のミサイル防衛網の知りうる実態。武器輸出3原則をかいくぐって日本防衛産業が行っている武器輸出の実態。改訂された防衛計画の大綱のこと。
 そして、第2期か、第3期に取り上げる「国民投票法案」について、日本にたいへん乏しく、
私が議席を失った後、個人では手の回らなくなった各国の国民投票の実態など国会図書館
(誰でも使えます)などを利用して今から調べておいてくれる人があれば非常に有効です。ぜひ・・・・。

 感想文を読んで誰もが“知的興奮”をもって頂いたらしいのは嬉しいことです。
誰にも、余り日常的でないことです。
もしそうなら、全員が感想を書いてください。“共同作業”はそこが始まりです。
難しいことや、見識を誇示する必要はありません。
日常性をちょっと超えた知的興奮を感じたら、それを3行でいい、伝達することがないならもはや化石。
どうか、気張らずに、次回は全員が素直に3行は書いてください。
おまけに、事務局の苦労を代弁すれば、もう10人くらい増えると経費はとんとんになるそうです。
これも共同作業です。

 さて、次回ですが、共同作業にふさわしく、出来るだけ討議の時間が必要かと思います。
そういうご意見もあります。
私が「思いつきの質疑は受けない。復習勉強してから受け付ける」と言った意味も同じです。
資料が多かったのは復習のためのみでなく、2時間内に論述を消化するための工夫でもあったのですが、
討議時間を取るためには、論述時間の短縮と資料の減少が必要と思います。
事務局と相談してみます。

 以上、感想文を読ませて頂き、思う所を書きました。面白い塾になるかも知れませんね。
濃い内容の共同作業でユニークな(当たり前の)文献が完成することを願っています。
これから、次回の資料作成に入ります。



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