「戦場からの証言」証言者の兵歴
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陸軍:通信兵(無線) 中国:北支派遣軍:全域  

豪北派遣軍:ニューギニア、ハラマヘラ島〜終戦:オーストラリア軍へ降伏〜収容所、1946年4月帰国

◆新保 清一郎さん

生年月日:1918年生
所   属:陸軍 山口42連隊   ■兵科通信兵(無線)
最終階級:伍長
転属歴
▲1939年 現役召集
△第32師団歩兵211連隊
 北支派遣軍として各地を転戦、匪賊や八路軍と戦闘
 浙かん作戦などに参加
△1944年2月 豪北派遣軍として派遣されるも台湾沖で電撃され作戦中止
 ハラマヘラ島に、その地で終戦を迎える
帰国年月日1946年(昭和21年)4月帰国


■取材日:2005.09.25

▲山西省にて

 戦場証言

昭和14年(1939年) 現役 赤坂歩兵第一連隊留守部隊
第32師団 211連隊

昭和14年(1939年)5月 
山西省に赴任
治安維持の任務で馬賊、匪賊、八路軍と対峙

昭和17年(1942年)5月
浙?(セッカン)作戦に従軍 

昭和19年(1944年)2月
快?第一第三連隊独立大隊に召集
フィリピン南部進出で輸送船団に乗り込むが、台湾沖で
米潜水艦の雷撃で輸送団が壊滅的打撃 10隻中7隻が沈む

昭和19年(1944年)5月
西部ニューギニア地区のハルマヘラ島に再装備のために上陸
以後、終戦まで同島で防衛体制をとる

昭和20年(1945年)
終戦時、武装解除、豪(オーストラリア)軍に降伏
ハルマヘラ島で捕虜生活

昭和21年(1946年)4月 復員


【あらすじ】
中国山西省にて主に現地の治安維持に従事。北支派遣軍として、
各地を転戦する。山岳部での戦闘が多く、「銃声が聞こえて、戦友が
倒れても、どこから撃ってきたのかがわからなかった。自分がいつ撃たれるか
わからなかった」敵の見えにくい戦闘を経験。
八路軍の少年兵を狙撃したのは、今でも鮮明に記憶に残っている。
「木の陰から出てこなければよかったのに、出てきてしまうから撃たなく
てはいけなくなったんだよ。。。」
日本軍の兵站軽視の現地調達を目にして、とても戦争に勝てるとは思
えなかった。
南方の戦況悪化に伴い、輸送船団でフィリピンに向かうも船団の7割が
大破沈没し、生き残りはハルマヘラ島に上陸。終戦まで防衛体制をとり、
そのまま武装解除となった。


【主な証言】
◆中国での戦闘 馬賊、匪賊、八路軍との戦闘
◇日本軍の残虐行為について
  日本軍の現地調達に関して、兵站軽視の話
 三八式歩兵銃とチェコ軽機関銃では相手にならない

◆山岳部での戦闘
  八路軍の少年兵を狙撃した話
  命令で捕虜を殺した話
◇戦争で生き残るのは運だと思う
◆浙?(セッカン)作戦 歩兵の大変さについて
◇陸軍内にも派閥があって、陸軍内でも内部闘争があった
  軍隊の私的制裁に関して
◆中国大陸は広かった 
◇南方に向かって輸送船団に乗った話 雷撃された話
◆はじめての戦闘 弾が最初は怖かった。だんだん慣れてきた
◇戦争終了時の混乱 デマ
◆山岳戦の話
◇雷撃された話、八路軍の少年兵を狙撃した話
  自分もいつ撃たれるかわからなかった
◆浙?(セッカン)作戦で突入前に遺書を書いた話
◇山岳戦の話


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